ポリアンナ症候群

人として軸がブレまくり人間がそこから抜け出そうと色々やります

私的自意識と公的自意識

自分らしさ()ってなんだろうみたいな最近の若者にありがちなことを考えて社会心理学の本と論文を適当にあさっていると面白いものをみつけた。私的自意識と公的自意識という言葉だ。

 

 私的自意識  とは

 

   私的自意識とは、感情、気分などの他者から直接観察されることのない自己の内面、つまり「自分がどう感じるか」に注意を向ける程度に関する個人差を示すものと定義されます。英語圏の人々は"I"という言葉として認識しているようです。(ちなみにこれ、後に述べますがめっちゃ重要です。)私的自意識が強い人は自分の意見や態度を自覚しているため、行動や言動に一貫性があります。

公的自意識 とは 

 

 公的自意識とは、他者への言動、社会的地位などの他人によって観測されうる自己の側面、つまり「他者からどう見られるか」に注意を向ける程度に関する個人差をしますものと定義されます。英語では"Me"として認識されるようです。公的自意識の高い人は他者からの評価に敏感であるため環境に応じて自己表出の仕方をコントロールする傾向が強いです。  

 

 

日本語には「公」の語り口しか存在しない

人は、国に住むのではない。国語に住むのだ。『国語』こそが、我々の『祖国』だ。ー エミール・シオランルーマニアの思想家)

 これまで「公」と「私」の自意識に関する紹介を行ってきましたが、これらの論文や本を読んで僕が思ったのは、「じゃあ、その2つの自意識はどのタイミングでどのように芽生えるんだろう」ということでした。僕個人はわざわざ「自分探し」なんてやってるくらいですから公的自意識が高いわけですが、僕はともかく、日本人全体としてこのタイプの比率が多すぎるのではないでしょうか。  

 

 この原因は日本の社会構造はもちろんのこと、日本語そのものにある気がするのです。先に述べましたが英語圏では"I"と"Me"の使い分けによって、文章や会話の中で「主観的な私」と「客観的な私」を認識し分けているのですが、日本語にはこういった区別がありません。対立を前提としたコミュニケーションの見本が少なく、主体としての自分による語り口が無いため、自分の気持ちを強く認識できないのではないでしょうか。 

 

 

 もっと流行れ!  

  SNSが登場してからインターネットで「承認欲求」という言葉が横行しましたが、あの言葉だけ独り歩きするのは危険な気がします。恐らくその欲求の根本にあるものが公的自意識だけだと、仕事にせよ趣味にせよ精神的な消耗にしかならないのではないでしょうか。もーちょい流行って欲しい言葉でした。

 

 参考文献 

Private vs. public self-consciousness

and self-discrepancies

Private vs. public self-consciousness

and self-discrepancies

 Private and Public Self-counciousness and Self-discrepancies :Adam Falewicz and Waclaw Bak(ネットで全文読めるのでgoogle翻訳に突っ込んで読もう!!)https://www.researchgate.net/publication/299385915_Private_vs_public_self-consciousness_and_self-discrepancies

Private vs. public self-consciousness

and self-discrepancies

Private vs. public self-consciousness

and self-discrepancies

Public and private self-consciousness : Assessment and theory :Fenigstein, Allan; Scheier, Michael F.; Buss, Arnold H.http://psycnet.apa.org/index.cfm?fa=buy.optionToBuy&id=1975-26584-001(読もうと思ったけど有料だった。12ドルは高いwww)

 

自意識尺度 (self-consciousness scale) 日本語版作成の試み